naph wind mill

wind mill-main

pastel recordsより2010.5.19release


naph「Wind Mill」CDジャケットart work

release party 2010.7.3
アルバムジャケットの絵や、楽曲ごとにドローイングを描きおろし、
新旧合わせて平面作品を展示。

< Wind Millの制作について > brogより抜粋

スタジオに伺い、
アコースティックギターで生演奏していただきながら、
ドローイングを描きおろしました。
色のイメージ、生音を聴いてはっきりと表れました。
その色はご本人もお好きな色でびっくり。
「ターコイズブルー」 (+ビリジャンも入れますが…)
ちゃんと伝わるんですね。
ちゃんと感じとれてよかった。
メインで使う色と、
その辺の色幅とさし色もきちんと感じれたので、
よいものが生まれます。

音ありきの場合、ドローイングも色も、やはり、
生音の厚みから伝わるものが大きい。

実音(実際に鳴らしている音)よりも、その余韻。
そこが私も表現したいのだと、実感。

描かれているところ、
明らかに見えているところよりも、
そのにじみや、発生する空間。
もしくは「何もない」という完璧さを、
目に見えるかたちでは「余白」とし、
その空気を表現するために色も線もあるのではないか。
付加をすることは欠けさすことでもあるのかもしれない。

真っ白な画面はそれだけで完璧。
「何もない」という完璧さ。
その美しさを「表現」しようとすると、
「何もない」ではなくなるという、、、

そう考えると、どこまでいっても未完成。

「表出」させるためには、何か媒体を使うしかあ
りません。
たしたり、ひいたりを繰り返しながら。。。
まるで波のように。

付加することは削ること。
削ることは付加すること。
(これは図と地の関係によりそうだけど。。。)
欠けていくものを、愛でるのでないか。

満ち欠けしては、めぐる。
闇へと欠けては、また光へと
満ちていく、循環する月のよう。

お互いが表現者としてのその感性や考え方が
共通すること、そして、だからこそ、
表現媒体が違えど共感し、触発されて、
またそこから表現が生まれる、
その瞬間を改めて実感しました。

なんて、自由。

作家であることがこんなにも自由で在るなんて。
苦しいことの方がおおい制作、作家活動。
でも呼吸がとてもかるくなりました。

よいものをつくりましょう。

和音は色彩、旋律はドローイングになると感じるからです。

CDジャケットの絵を撮影。
自然の光で撮りたかったので、
公園の芝生の上に置いて撮りました。
ドローイングは、描く前はパネル貼りにして、
いつも通りの制作の方法でしようと思っていたのですが、
なぜかずっとパネルへ貼ることに違和感があり、
着彩せずにずっとねかせておいたら、
CDのタイトルが wind mill に決まり、
ああ、やはりきっちりと張らずに、布のまんま、
風になびかせて、呼吸するように色がのればいいなぁ、
風にのるように。
朝の新鮮な光にかざしては乾かし、着彩していました。

朝の光と風、水の循環。
それらの祝福をたくさん込めてつくりました。
ドローイングは実音で、淡い色は余韻です。

写真撮影も自然光で、風を孕みながら、その空気も表せたら。


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